into the moon




空気が冷たく、テントを開けて外を見てみると雪がチラついている。
奥東京市に初雪が降った朝、クルルから久しぶりにメールがきた。
「作業が終わりそうだから、もうすぐ帰るぜ」
12月の慌ただしい空気の中、ちょっと月に行ってくると
ラボを出て行ってもう10日以上経つ。
いつ帰ってくるのか、という連絡もなくただ待つのが辛かったが、
「もうすぐ帰る」というメールに単純にうれしくなった。
久々に会えることを考えると氷点下を下回る気温も、気にならなかった。

しかし、その後2日経ってもクルルは帰ってこなかった。

10日も何をしているのか、隊長のケロロに聞くと、
「なんでも、本部からの通信の状態が悪いから、月に専用のアンテナを立てると言ってたであります。
誰か一緒について行くの?って聞いたけど、一人で大丈夫だぜ〜と言うから、そのまま見送ったんだけどさ。
あのクルルが大丈夫って言うんだから、たぶん問題ないでしょ」

隊長として、少しは部下の行動に気を配るのが普通じゃないのかと思うが、
ケロロに今更、隊長らしさを求めても無駄な気がして、それ以上の追及をやめる。
「それでも、変でありますな。出てってから毎日通信があったのに、ここ3日、まったく音信不通だし、
もしかしたら、事故とかあってたりして」

「なに!」
「でも、月まで探しにいくのも大変だし、そのうち帰ってくるでありますよ」
ケロロはそういうとガンプラの箱を開けて組み立て始めた。
前にケロロ小隊で月に行ったとき、クレーターの割れ目に夏美と堕ちて、命の危機を感じたのは
自分だけだったと思い出す。
「俺が迎えに行ってくる」
「そう、じゃあ地下にロケットがあるから、好きなの使っていいでありますよ」
ケロロはチラッとこちらを見たが、すぐに目の前のガンプラに集中し始めた。

地下の倉庫には様々な武器が保管してあり、そのすべてにクルルズラボのマークが入っている。
俺とは違いこれほどの武器やメカを開発できる頭脳の持ち主だから、
たかだか、地球から数十万キロ離れた衛星で、遭難する可能性はないと思いながら、月へと向かった。



以前と同じく、地球人の言う月の「静かの海」へ降りた。
クルルが乗ってきたロケットもそこにあり、中へ入ってクルルを探すが姿はなかった。
しかたなく、その周辺を捜す。あてもなく歩きながら、空に浮かぶ地球を見る。
「手が届きそうに近いのに、実際は想像以上に遠い。俺たちの関係と同じだな」

クルルの声が聞こえる。
後ろを振り返ると、クルルが右手に鳥かごを持って立っている。
「探しにきたんだけど、結局見つからなかったぜ。ここには何もないのに、俺もばかだな」

鳥を探していたのか、この大気も風も水もない衛星で?
「いいものを見せてやるぜ」
そう言うと、周りの景色が一瞬で変化する。そこは地球の草原の姿で、目を疑う。
こうやって、生き物が住めるように変えてみても、しょせん偽物の世界さ。
クルルは草を一つむしり、風に飛ばす。草は途中から透明に消えていく。
「CGじゃないぜ、本物だ。でも、月に似合わない風景だ。こんな箱庭の世界を創造して、神になったつもりだったな」

クルルは自分の昔の話をし始める。少佐時代の唯一の失策だったある月に似た衛星への移民計画。
小鳥のさえずりが聞こえる楽園を作る予定だったと言う。
ケロンの科学力があれば、星の環境を変えるぐらい造作もないことだと思うのに、
その計画は失敗し、星は元の姿に戻されたらしい。


「ここへきて、いろいろ思い出すと自分が何もできない、ただの役立たずだと感じてしまう。
とにかく、しばらく一人でいたいと思って、一日一日と帰るのを延ばしてしまった」

クルルの独白を聞きながら、初めて目の前の天才が実は自分と変わらないと知る。
「心配かけたな、なんか話したら、少しすっきりしたぜ」

辺りがまた月面の暗い岩と砂の世界に戻る。
「ここには何もないが、地球に帰る決心がつかなかった」

そう言って、碧い星を見上げる。すぐそこにあるのに届かないと言った青と白がコントラストが眩しい惑星を。
「帰ろう。クルル。こんな空も風の空気もない星にいて、過去に縛られるなんてお前らしくない」
「…」
しばしの沈黙が流れる。
地球人の誰が名づけたのだろう。「静かの海」の名前にふさわしい静寂の世界が広がる。
この世界に二人きりだという錯覚を感じさせたが、俺たちには帰る場所がある。
暗い空に浮かぶ一際明るく輝く青い惑星が…。





地球へ帰るロケットなかで、クルルは言った。
「ラボに着いたら、カレー作ってくれないか?」
「は?」
「久々に先輩の作ったカレーが食べたいと思って」
「わかった。カレーぐらい作ってやる」
「じゃあ、小指を出して」
クルルは自分の小指と俺の小指を絡ませ、約束だと笑う。
その表情が少し悲しそうに見えて、胸が締め付けられる。でも、気がつかない振りをして
「カレーは俺が作るから、食後のデザートはお前が作ってくれないか?」
と関係のない話題をして、この場の沈んだ雰囲気を変える。
「いいぜ」
ロケットから段々と近づく地球を眺めながら言う。
「クルル、さっき俺たちの関係が手が届きそうで届かないと言っただろう。俺はそう思わない。お前は届かないと思い込んで、
手を伸ばす努力をしていないだけだ。いつでも、お前の手の届く距離に俺はいるし、いつでも俺を頼ってくれ」
クルルは俺のほうを向いて、やさしく笑いながら「あんたがいて良かった」と小さい声で言った。
穏やかなその表情を見て、心の隅にあった少しの不安を打ち消した。





ラボに着くと、クルルは、
「先輩、迎えにきてくれてありがとう」
と言って俺を抱きしめキスをした。
いつも以上に感情のこもったキスを受け入れながら、二人でなにもかも忘れるほどの激しさを共有できれば、
すべてがうまくいくような気がした。
そして、一人、テントでクルルを待った日々の苦しさを思い出し、
二人の距離を縮める方法が、愛し合う行為なら、こうして相手を求めるのが怖いほど自然だと思う。
「ずっとそばにいてくれないか」  
「俺もクルル、お前のそばにいたい…」
何度も何度も口づけ、クルルと一つになり、溶けてしまいたいと願いながら、
間近にある眼鏡の奥の瞳に自分と同じ欲望を発見し、
手が届きそうに近いのに、実際は想像以上に遠いと表現した二人の距離はもう限りなくゼロに近いと感じた。

「愛している」
抱き合いながら、そう囁くクルルの声に言葉で答えない。
甘くて切ない口づけで俺の気持ちを伝える。
  
2週間ぶりに主を迎えたラボは、少し空気が冷たかったが、二人の熱で、いつの間にか温かい空間に変わっていった。
  
  
  
end
  
  

  
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「ケロン街道 96次」の前川ハルマ様への相互記念SSです。  
ちょっと鬱なクルルに挑戦したくて、このような話に。甘さも控えめで、エロもないですが、
もらっていただけるとうれしいです。

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