Saint Helena







その日の午後は穏やかだった。
春スキーに日向家の連中と小隊メンバーがそろって出かけて、
一人、新しい論文に取りかかっていた。
1時間前まではさくさくと進んでいたものが
急に袋小路にぶち当たる。
高級豆で淹れたブラックコーヒーも
冷めてなってしまって美味しくない。


イライラして乱雑に紙を丸め、床に放り投げると、
「すごい散らかりようだな」
急に聞きなれた声がした。
「先輩…」
振り向くとギロロ先輩がラボの入口に立っている。
たしか、春スキーに出かけた一行の帰りは明日だったはず。
「お前に話があって、一足先に帰ってきたんだ」
少し不機嫌そうな声でそう応えた先輩の赤い右手には白い雪玉が握られていた。
それを、ちょっとここで投げる気かよ。
「うわ」
頭を下げて、向かってきた雪玉をよけたが、
それは椅子の背もたれに当たって砕ける。
「おい、ちょっと俺のラボには精密機械が揃っているんだぜ」
「この宇宙最強レベルのクルルズラボが、たった一つの雪玉ごときで故障するわけないだろう?」
「それはそうだけど…」
先輩は入口から2、3歩ほど俺にゆっくり近づいてくる。

「それで、話って何?」
「俺が言いたいことがわからないか?」
「いや、さっぱりだぜ」
ひと呼吸置いて先輩は続けた。
「お前を無理にでも連れて行けば良かったって思った」
「俺は本部に出す仕事が残っているって言っただろ?」
「もう、とっくに終わっていたはずだ」
先輩は紙くずを拾って広げてみる。いくら先輩が俺のしている仕事に疎いからといって
この紙にある内容が任務とかけ離れていることぐらいはわかる。

「趣味で論文を書いているとモアが言っていた」
そう言えば出かける前に、モアがここを掃除しながら
クルルさんはお留守番大変ですねとか言ってきたんで、
大変じゃねえぜ、別に。趣味で数学の問題を解いてるだけだし、
と答えたのを思い出す。
余計なことを言わなければ良かったと後悔しても遅い。

「考えれば考えるほど自分がわからなくなる」
先輩は話を続ける。
「ケロロたちとスキーをしたり、温泉に入ったり、楽しく過ごしても
お前のことばかり考えてしまう。そういう自分が正直、少し気に食わないんだ。
お前みたいに捻くれてて、自分勝手な根暗で陰湿な男のどこがいいのか、
いくら考えても答えが出ない」


「いいのかよ」
「なにが?」
「そんな熱烈な告白して、俺が勘違いしちまうぜ」
椅子から立ち上がり、先輩のそばへ近づく。
流石、俺のギロロ先輩、単純で簡潔でストレートな言葉がこれほど似合う人もいない。
こんな陰険、陰湿な俺様にはもったいないぐらいだ。


「寂しがらせて悪かったな。これから一緒に春スキーに行こうぜ」
そう言って、軽く口づけする。
少し照れて赤くなった先輩の横を通り、簡易キッチンへ向かう。
コーヒーメーカーを使って新しいコーヒーを淹れ、
二つのカップに注ぎ、一方を先輩に差し出す。


ーかつて世界を支配していた英雄と自分を重ねたりするのも悪くないー
と思いながら注文したセントヘレナ産の豆で淹れたコーヒーを味わいながら、
この幸福なひと時を俺は噛みしめる。
そして、宇宙中探しても多分見つからない、
世界に匹敵するほど大事な存在に出会えたことを幸運を神に感謝したいと思った。



end
  
  
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